オランダの奇跡はなぜ起こったか?
~YOSHIKO'Sエッセイ<2月2日号>~
経済状況がまずまず厳しさをます中、
「ワークシェアリング」についての議論が盛んです。
今日は、世界でもっとも成功した「ワークシェアリング・モデル」を生み出した
オランダの話題です。
Today's Yoshiko's Column
オランダの奇跡はなぜ起こったか?
~日蘭通商400年目に学ぶこと・・・Rene Bersma氏の本から~
200年ほど昔のお話です。
長崎・出島にひとりの赤毛・碧眼の女性がやってきました。
ティツィア・ベルフスマ、31歳、オランダ人。
夫のヤン・コック・ブロンホフが出島商館長に任命されたので、
新婚ホヤホヤの彼女は、「単身赴任は絶対イヤッ」といったかどうかは定かではありませんが、
まだ1歳の長男を抱き、1か月半の過酷な船旅に耐え、
はるばると鎖国まっただ中の日本に、宮廷風のドレスに香水をつけ、ゴージャスに上陸したのでした。
時に1817年8月。日本に初めてやってきた「西洋の婦人」です。
「女・子供連れ」で商館長がやってくるとは思いもしなかった長崎奉行はビックリ仰天。
早速、江戸幕府に伝えますが、11代将軍家斉は即刻ティツィアの国外退去を命じます。
彼女は滞在わずか4か月で泣く泣く夫と別れて帰国。
再び夫に会うこともなく5年後に亡くなります。
こうした悲劇もありましたが、
日本とオランダは、徳川家康がオランダに御朱印状を発行した1609年から、
外交貿易、文化交流など幅広い分野で親しい関係を続けています。
そして今年は日蘭通商400周年。
さまざまな"オランダの魅力"が紹介されていますが、
なかでも厳しい経済状況の昨今、
「オランダの奇跡」と呼ばれる「ワークシェアリング・モデル」に注目が集まっています。
1980年代初め、オランダは大不況に陥り、失業率はなんと12%。
財政は破綻、税金は急増。
「オランダに未来はない」とまで言われたヨーロッパの落ちこぼれでした。
このどん底の状況で、
オランダの政府・経営者団体・労働組合は「ある約束」をします。
それは、
1) 労働組合は賃下げに協力
2) 経営者は就労時間を短縮し、雇用を確保
3) 政府は減税し、企業投資を活性化して雇用拡大推進
というもの。
有名な「ワッセナー合意」です。
その後、「オランダの奇跡」と呼ばれる大逆転劇がおこり、
9年後には失業率1%以下、財政赤字は解消、
国際競争力は素晴らしく強化されたのです。
「オランダの奇跡」のポイントは、
「オランダ・モデル」と呼ばれるワークシェアリングのスタイルにあります。
フルタイムとパートタイムの賃金格差をなくし、
自由に勤務形態を選択できるようにしたのですが、
大事なのは、空いた時間を「人材育成」にあてたことです。
教育に対する国の援助、職場での教育機会の増加と環境整備、家庭での学習の奨励など、
国をあげて「人材育成」に投資し、
労働者のスキルアップと労働の質向上に邁進したのです。
Yoshiko' View
ワークシェアリングの難しいところは、
ひとつ間違うと、社会が無気力化してしまうこと。
「未来を支える人材に対する投資」としての「教育」に
国をあげてとりくんだオランダ・モデル。
学ぶところが多いと思います。
ちなみに冒頭の物語は、
ベルギー、オランダで出版され、
「ティツィア...日本へ旅した最初の西洋婦人」というタイトルで、
日本語にも翻訳されています。
作者のルネ・ベルスマは元外交官。
ティツィアから数えて6代目の子孫です。
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